[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
名前くらいならば縁組が決まった時点で、政秀か誰かから聞いていそうなものだが…。
彼はまるで覚えていない様子である。
「──」
「何じゃ、何を黙っておる。そちは口が利けぬのか?口なしか?」
妙に粘っこい、嫌な言い方をする信長に腹が立ったのか
「…帰蝶にございます…」【脫髮先兆】頭髮變幼變薄?留意四大脫髮成因!
「は? 何じゃ聞こえぬぞ」
「帰蝶にございますっ!」
姫はこの尾張に来て、初めて大声を響かせた。
「帰蝶?」
「…はい」
「蝮の娘が帰蝶──。随分と贅沢な名を付けてもろうたものじゃな」
信長は辛辣に言うと
「そうよのう。…蝮に…蝶…。いや、美濃か ?」
下顎を撫でながら、徐に視線を天に向け、何かを考え始めた。
「お美…お濃……。おお!濃か、なかなか良いではないか!」
信長は大きな独り言を呟くと
「本日そなたに『濃(のう)』の名をくれてやる!」
「…濃…?」
「美濃から参った姫じゃ故、濃姫。どうじゃ?覚え易うて良いであろう」
「…濃姫」
突然のことに帰蝶の目が戸惑いがちに泳いだ。
そんな姫を尻目に、信長は腰に下げていた二つの瓢箪(ひょうたん)の内の一つを手に取ると
「固めの儀じゃ!」
と一言叫んで、瓢箪の中の酒をくびくびと口飲みした。
彼はその瓢箪を帰蝶に差し出すと
「そなたも飲め」
「…え…」
「固めの儀じゃ故、そなたも飲まねば意味がないであろう。飲め」
信長は有無を言わさぬ口調で飲酒を促した。
帰蝶の顔面には、はっきりとした拒否反応が浮かんでいる。
回し飲みなど生まれてから一度もしたことがない。
第一、人が口をつけた物を、それも獣のようなこの男が飲んだ酒を飲むなど、絶対に出来ないと帰蝶は思った。
誰かに信長を止めてもらいたかったが、こんな時に限って皆々口をつぐんでいる。
「どうした?何故受け取らぬ」
「……」
「おぉ、そうか──蝮の子はやはり蝮。
姫君は蝮の如く、この瓢箪を受け取る手を持ち合わせておらぬと見ゆる」
帰蝶は睨むように信長を見上げた。
「手足があるだけ蜥蜴(とかげ)の方がまだ優秀よのう」
信長が冗談めかして告げると、ふいに下段から「ククッ」と笑い声が漏れた。
その笑い声を聞いて
『 やはり蝮の娘じゃ 』
『 美濃の間者の分際で図々しい 』
さっきの嘲りの言葉を思い出し、帰蝶の身体中がカッと熱くなった。
「お固めの儀ならば、姫様にはこちらの御杯の方をお使いいただきまして…」
と、三保野が手元に置いてあった杯を帰蝶に手渡そうとした時
「──!」
帰蝶の手が、隼(はやぶさ)のように信長から瓢箪を奪い取った。
そして先程までの躊躇いが嘘のように、平然とそれに口を付けたのである。
豪快に酒を呷る帰蝶を見て
「何と!」
「ひ、姫君様!」
政秀や三保野らは驚愕し
「はははは!面白い!さすがは儂の嫁になるおなごじゃ!」
信長は愉快そうに笑った。
瓢箪の飲み口から唇を離した帰蝶の双眼には、それは強い光が帯びていた。
もう怒りも恥ずかしさも躊躇いも、どこかへ飛んでいってしまった。
ただ、この男にだけは見下げられたくない。
決して負けたくない。
そんな思いが、帰蝶の胸の中いっぱいに広がっていた。
これが天下の風雲児・織田信長と、帰蝶…改め濃姫との、長い長い戦の始まりとなったのである──。
大騒ぎの祝宴の後。
濃姫(帰蝶)は速やかに奥御殿の居室に戻ると、薄物に着替え、御湯殿へと移動した。